【ネタバレあり】「レヴェナント 蘇えりし男」のレビュー。執念の男が理性の先に見たものとは


人間が行動を起こす動機の1つに、執念というものがあります。
この執念というものは、いったいどこまで人を突き動かすことができるのでしょうか。
そして、どのような心境になったとき、執念だけでは動けなくなるのでしょうか。

「レヴェナント 蘇えりし男」は、動かない体のまま、息子の仇を執念だけで追い詰めていく男の姿が描かれています。

この作品は2016年アカデミー賞で主演男優賞・監督賞・作品賞の3部門を受賞。
主人公役のレオナルド・ディカプリオの鬼気迫る演技が評判を呼んだことでも有名です。

「レヴェナント 蘇えりし男」は今までにも多くの方が様々な感想や考察をしています。
今回はそんな本作を、筆者が見て思ったままにレビューしてみたいと思います。

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「レヴェナント 蘇えりし男」のあらすじ


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舞台は西部開拓時代のアメリカ、極寒の山岳地帯。

毛皮を運び出そうとしていたヘンリーの部隊は原住民の襲撃を受け、多くの仲間を失ってしまう。
なおも襲い掛かる原住民を退けながら、部隊は土地勘のあるグラスを頼りに基地の砦を目指す。

しかし、その途中グラスはグリズリーに襲われ、瀕死の状態になってしまう。
動けないグラスを運びながら砦を目指すものの隊員の負担は大きく、部隊全滅という最悪の事態を避けるため、ヘンリーはグラスを道半ばで置き去りにするという苦渋の決断を下す。

最後を見届けるように残されたフィッツジェラルドら隊員たち。
彼らはその時が来るのを待っていたが、先を急ぎたいフィッツジェラルドはグラスを殺してしまおうとしていた。

それを止めようと抵抗した息子のホークは、グラスの目の前でフィッツジェラルドに逆に殺されてしまう。
息子を殺されたグラスは、怒りと憎しみに駆られ深手を負った状態のまま追い始める。

道中原住民たちの追撃をギリギリでかわしながら、動かない体に鞭打って砦を目指すグラス。
自分の全てだった息子を殺した男に復讐を果たす、その一心で。

「レヴェナント 蘇えりし男」の主な登場人物

ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)

息子のホークとともに狩猟を行っている。
原住民の集落で生活していたことがあり、そのときに一族の娘と結ばれ、ホークを授かる。
息子のことを命よりも大切なものとしており、ときに厳しくも優しく接している。

ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)

ヘンリー隊の隊員の1人。
経験豊富で決断力があるが、言い方にトゲがあり、隊員同士の衝突が絶えない。
利己主義的で、自分さえよければ他はなんでもよいと思っている。

ホーク(フォレスト・グッドラック)

グラスの息子。
グラスと原住民の娘との間の子であるため、白人ではない。
一部の隊員から心無い言葉を浴びせられながらも、父グラスとともにヘンリー隊の一員として働く。

アンドリュー・ヘンリー(ドーナル・グリーソン)

毛皮狩猟者の一団を率いる隊長。
常に公平公正にふるまおうとし、状況に応じそのときに取るべき最善の判断を下す。
グラスのことをとても信頼している。

「レヴェナント 蘇えりし男」の見どころとは

瀕死の男を突き動かす執念

なんといっても、グラスが過酷すぎる逆境をはねのけ、生き抜いていく姿からは目が離せません。

執念の炎を燃やし続けた彼の姿からは、心の強さというものについて考えさせられます。

グリズリーに襲われたグラスはいつ死んでもおかしくない状態だったものの、意識だけは辛うじて保っていました。
あたり一面極寒の雪深い森、一瞬でも意識を飛ばしたら、こと切れてしまうようなギリギリの状態です。

そんな彼に、追い打ちをかけるかのように目の前で行われた凶行。
しかし、怒りと憎しみが最高潮に達してもグラスは体の自由がききません。

それでも、彼はたった1本の細いクモの糸に、必死でしがみついたのです。

まさに、生き抜いて息子の無念を晴らすというすさまじい執念のなせる業。
心の在り方、それは意志というべきか、あるいは覚悟というべきか。

いったん決心してからの人の精神力が放つエネルギーの強さが、ひしひしと感じられます。
前に進むための真の力とは心の強さなんだと、あらためて思い知らされました。

執念と聞くと、あまりいい意味での印象がないかもしれません。
それでもグラスのように、執念があるかないかで人は発揮できる力の量が変わってくるものです。
人生をしぶとく生き抜くためにも、執念という言葉をもう少しポジティブにとってよいのかもしれませんね。

言葉に頼らない演技と演出

©Twentieth Century Fox Film Corporation

言葉に頼らない演出は、この作品の大きな特徴の1つです。
「レヴェナント 蘇えりし男」は本編が約150分ありますが、登場人物のセリフがあまりありません。
その代わりに、表情や動作による演技、あるいは風景描写で作品を見せていきます。

この作品は、とにかく風景のカットが多いです。

こうした風景描写は、登場人物たちの心情をほのめかす情景として盛り込まれています。
例えば一面の雪景色は、あたりに何もない寂しさや孤独感を引き立たせます。
葉の落ち切った木々がぽつぽつと生える林は、寂しさとともに命のはかなさを物語ります。
その他不安や焦り、焦燥感など、登場人物の様々な感情が風景描写によって表現されているんです。

また、語られる言葉は少なくとも、それ以外の演技が作品を十二分に面白くしています。

セリフを使わないことで、見る者は登場人物に集中させられ、感覚が研ぎ澄まされていくのがわかります。
さらに、しゃべらない登場人物が作品全体を覆う緊張感に拍車をかけ、各人物の「濃さ」を際立たせます。

演技派俳優陣勢揃いで制作された今作ならではの演出といえるでしょう。

グラス役のレオナルド・ディカプリオの演技は見事の一言につきます!
腫れた指や痛々しく脚を引きずる姿、言葉の代わりに見せる鋭い視線、死肉を食らう姿の野性味。
アカデミー賞主演男優賞受賞は当然の結果と言わざるを得ません。
フィッツジェラルド役のトム・ハーディも迫真の演技を見せてくれます。

サウンドが加速させる臨場感

この作品におけるもう1つの特徴は、こだわり尽くされたサウンド面。
臨場感にあふれ作品の世界観を見事に表現したBGMと、リアリティーを追求した効果音にも注目です。

ピアノと重厚なストリングスで奏でられた曲たちはまさに、この作品のための劇伴曲。
映像と重なることでより一層のポテンシャルを発揮し、情景描写に深みを与えます。
なお、「レヴェナント 蘇えりし男」の音楽は、坂本龍一氏がそのうちの1人として担当しています。

サウンドエフェクトによる細やかな演出も施されています。

最も特徴的と感じたのは、グラスがグリズリーに襲われているシーンでのこと。
グラスにのしかかるグリズリーの獣臭さのせいか、流す血のせいか、両者の周りにハエがたかってきます。
実は、このハエが飛び回る羽音さえ、サウンドとして盛り込んでいるのです。

ハエの羽音が与える不快感によって、グラスとグリズリーの格闘シーンはリアリティー十分。
このような小さな効果音の1つ1つが、作品の臨場感作りに一役買っているんです。

善悪を超えたその先を描く

この作品は仇討ちの物語ですが、善悪のその先、人間の究極的な部分を描くことに主眼を置いています。

極寒の局地、ここに明確な善悪の概念は存在しません。
たしかにグラスにとってはフィッツジェラルドは悪ですが、必ずしも悪とは決めつけられません。

なぜなら、彼の行動は生存本能を優先した結果といえるからです。
もちろん殺人という凶行は肯定できるものではないし、本来あってはならないことです。
ですが彼の行動は追い詰められた果てにある、理屈を超えた衝動によるものです。

グラスを見殺しにすると決めたヘンリー隊長にせよ、フィッツジェラルドにせよ、心理状態が正常とはいえません。
だって、人を殺さなければならないという判断自体が全く理性的ではないのですから。
一見最善の策ともとれますが、単に死にたくないという本能に身を任せただけではないでしょうか?

ここで今一度思い返す必要があるのは、この舞台が雪深い山中で、部隊が原住民に襲われているということ。
そこまで追い込まれていたということが非常に重要です。

こんなところで死にたくない、なんとしても生き残りたいという執念。
ここまでくるともはや行動の是非なんて二の次、心身は生存本能の赴くまま。
最善の策かどうかなんて、誰も判断することなんてできないんです。

極限状態まで追い込まれたとき、人はどんな行動をとるのか。
後で振り返ったとき、その行動は果たして正しかったといえるのか、そもそも是非の判断が可能なのか。

作品はこうした正解のない非情に難しい問題提起をしています。
そして、第三者的視点でただただそんな世界を見せつけているんです。

「人間は理性的動物」という言葉があるとおり、人間は自らを律することができます。
しかしながら人間は、本能や感情を抑えきれず、理性の一線を越えてしまうこともしばしば。
この作品においては、人間も本能で動く動物ととらえれば、行動原理に多少の説明がつけられるかもしれません。

まずはありのまま本編を通して見ることをおすすめします。

「人間」が終わらせる結末

前述で人間も本能に従う動物だと書きましたが、それでは物語として締まらないのも事実です。
その点において、本作は人間の物語として、きちんと結末を示しています。

物語がラストで見せたものは、動物ではなく人間としての救いそのものです。

物語は、動けるまでに回復したグラスがフィッツジェラルドに復讐を果たしたところで終わり。
しかしこのとき、グラスはフィッツジェラルドに致命傷を負わせるにとどめており、最後は川に流すことを選択しています。

物語中に再三登場する言葉の1つに、「復讐は神に委ねる」というものがあります。
これは、自らが手を汚してはいけない、自分以外の力によって果たされるべきだという教え。

最後の最後で、グラスはこの言葉に自らを従わせるのです。
その姿は、理性によって自らを律する人間のそれでした。

あわせて、執念を燃やす相手がついに果てたこともあるでしょう。
グラスの執念は心の強さであると同時に、仇を殺してやりたいという動物的な衝動が含まれています。
その衝動がなくなったグラスが、人間としての理性を取り戻すラスト。

復讐の獣となった男は、再び「人間」へと戻り、「人間」として結末を迎えるのです。

おわりに


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この「レヴェナント 蘇えりし男」という映画が見せてくれたものは、次の2つ。

過酷な自然環境下に置かれた人間が見せる「動物的側面」と「人間たらしめる側面」。
そして、理性の先にある人間の姿を描きつつ、結局人間は理性的動物としてしか生きられないという教訓。

本作を最初に見たときは、まるでサファリパークの動物をずっと見ていたような気分でした。
理性を失い、それぞれの本能に従って動く人間は「動物」以外にあらず。
そんな動物の行動が正しいかどうかなんて、判断できるはずがありません。

ただ一方で、「レヴェナント 蘇えりし男」はディスカバリーチャンネルではありません。
いくら本能にとらわれようとも、そこに描かれたものは間違いなく人間のあり様です。
そして物語は、グラスを動物ではなく人間として締めくくっています。

加えて、自然の圧倒的な力強さと、人間のちっぽけさを表現するための数々の風景描写。
人の間にはたしかに壮絶なドラマがあるんですが、それを外側から淡々と見せています。
これら演出が、人間の「動物的側面」と「人間たらしめる側面」という点に考察の目を向けさせてくれたのでしょう。

何もかも規格外の圧倒的なスケールで人間というものに迫った今作品。
多くの方が感想や考察を述べているのもうなずけました。
アカデミー賞も納得の出来ですので、ご興味持たれた方はぜひお楽しみください。


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