危険がいっぱい?「世界の危険思想」が教えてくれる、危険へと陥る思考パターン


人の数だけ、価値観や思想が存在します。
それらは、理解できるものもあれば、相容れないものもあったりと様々です。

相容れないどころか、到底理解できないものもあります。
犯罪や非合法な行いに手を染める人間の思考回路です。
彼らの行動は、およそ理性的なものとは言えません。

しかし、彼らには彼らなりの考え方がきちんと存在しています。
ただ単に、彼らのことをよく知らないといって回避しがちなだけなのです。
知ることができさえすれば、彼らの思考様式を把握することは可能となるでしょう。

そして、犯罪者たちもれっきとした人間。
悪事を働いて生きている事以外は、普通の人と変わりありません。
裏を返せば、我々が悪の道に片足を突っ込むこともあり得ます。
ときに、「普通」と思っていた我々の価値観が、思わぬ危険を呼び込むのです。

周囲には、危険な思想がいくつも転がっています。
今回は、そんな危険思想を紹介する一冊をみていきましょう。

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「世界の危険思想」について

「世界の危険思想」は、2019年に株式会社光文社が発行した新書。

何が人を犯罪や非合法ビジネス、ドラッグへと導くのか。
世界中のアウトローな人々との取材を重ねて見えてきた、危険な思想。
普通の人がまず知ることのない「裏の世界」の人々の考え方を教えてくれる一冊です。

本書の構成は大きく2つに分けられます。
1つは実際の犯罪者や薬物ジャンキーから見える危険思想について。
そしてもう1つは、ごく普通の人々の普通の価値観がはらむ危険思想についてです。

悪事を行う者たちの行動原理を丸裸にしてくれる、たいへん興味深い一冊。
そして、犯罪につながる危険思想は普通の人々の中にも存在すると、気付きを与えてくれます。
本書は、平凡な日常に、適度に刺激的で緊張感のある教養をもたらしてくれるものです。

著者の丸山ゴンザレス氏は、世界各国の危険地帯を取材するジャーナリスト。
スラム街や犯罪多発地帯を専門に取材しており、世界の広さをこれでもかと伝えてくれます。
専門領域の特殊性ゆえに、テレビ番組「クレイジージャーニー」出演していたこともある人物です。

思考停止気味の人にとっては、まるで脳を活性化させてくれるような内容となっています。

誰もが持っている「危険思想」

本書の言う「危険思想」とは、犯罪や身の破滅に至らしめる思想のこと。
「危険思想」などと言えば、仰々しくてイマイチイメージがわきにくいかもしれません。
しかし、我々が「危険思想」に陥る可能性は、いたるところに存在しているのです。

本書は、世界各国の「ヤバい奴ら」に取材してきた著者の肌感覚が伝わる一冊。
彼らがヤバい理由やそこに至った過程を、リアルな体験談として書いています。
そして、彼らを見てきたことで得た危険思想のカテゴライズは、流石の一言です。

以下、著者が大別した4つの危険思想に触れながら、解説していきます。

命と金と正義

「命は金に代えられない」と言えば、多くの人はその通りだと思うでしょう。
事実、命は何よりも尊いものであり、生きてさえいればどうとでもなると言う人もいます。
その点は、全くもって同意するところです。

しかし、広い世界には、こうした考えに至らない人も存在します。
いや、心の奥底では分かっていながら、必死に押さえつけているのかもしれません。
何であれ、命を金に代えることを生業としている者は現に存在しています。
日本ではあまりなじみのないものですが、「殺し屋」と呼ばれる連中です。

彼らはその名の通り、依頼を受け、人を殺して生きています。
職業としての人殺しですが、当然ながら殺人を合法とする国は1つもありません。
あまりにも高いリスクを身一つで背負い、代わりに報酬を得ています。

しかし、著者の取材によると、彼らは生粋の「殺し屋」ではないということ。
本書にあったジャマイカの殺し屋は、殺人に愉悦を覚える異常者ではありません。
あくまでも「仕事」なのです。

彼が殺し屋となった理由は、生きるための金を得るため。
しかし、何もできない貧民出身の彼には、殺し屋以外の選択肢はありませんでした。

周囲の環境によって、アウトローの道へと引きずり込まれることは少なくありません。
「仕事」の是非はともかく、彼は生きるためにただ必死なだけです。
むしろ本当に危険なのは、殺し屋に殺人依頼をする側の方でしょう。

依頼者は、金を払いさえすれば対象を始末できると考えています。
自らリスクを負うこともなく、仕事後に手を切れば足が付くこともありません。
まさに、金で命を買っているわけです。

ここまでは、殺し屋を軸とした命と金の関係を挙げました。
しかし、「命は金で買える」思想は、ごく普通の人々の中にも潜在的に眠っているのです。

フィリピンでは交通事故を起こした場合、相手への賠償金は約22万円程度。
相手が高級車に乗っていた場合は、修理代すらまかなえません。
けがをすれば、入院費用などもかさんできます。

そこで、中には相手を死なせるという選択肢を取る人がいるということ。
治療費を払うくらいなら、いっそ死なせた方がコストを抑えられるという発想です。
彼らの価値観では、命と金が天秤にかけられています。

ケニアで盗賊団に所属していた者の話も興味深いものでした。
あるとき、彼がいた盗賊団は警察に取り囲まれます。
すると、警察は突然、彼らに向かって発砲し始めました。
彼らは殺され、生き延びたのは取材した彼1人だけだったと言います。

本来ならば、警察は彼らを逮捕する必要があります。
しかし、取り調べを面倒に感じた警察は、そのまま撃ち殺しました。
取り調べで残業を嫌がった連中は、その場で片づけた方が楽、と考えたのです。
まさに公権力の暴挙ですが、ケニアでは警察権力が強大なため、誰も口出しできません。

命はいともたやすく、金や正義と比べられ、ときに弄ばれます。
その発想の根源にあるものは、誰もよく感じていること。
しかし、そんな感情でも、ときに人を凶行に走らせる危険性を内包しているのです。

見たいように見ることの落とし穴

人の数だけ、主観というものが存在します。
同じものを見ていても、一方ともう一方では捉え方も感じ方も違うのです。

視覚による情報は、人々の認知において大きなウェイトを占めています。
「人は見た目が第一」という言葉があるように、まず外観から判断するものです。
すると、見た者は主観のフィルターを通して、自分なりのイメージを作り出します。

このイメージとは、裏を返せば「思い込み」とも呼べるでしょう。
いったん作り上げたイメージは固定化され、そう簡単にははがれません。

「思い込み」とは、自分がそう思っているだけで、実際はそうとは限らないということ。
目の前のものと、それを見ている人の間には、大きなギャップが存在しています。
そして、ここに大きな落とし穴があるのです。

凝り固まった見方で決めつける姿勢は、危険なものといえます。
双方の間のギャップが勘違いを生み、こじれることもあるでしょう。
場合によっては衝突する可能性も否定できません。
個人レベルならまだしも、もっと大きな規模で起こればそれだけ影響も甚大です。

本書は、イメージを固定化させて決めつける考え方に、警鐘を鳴らしています。
著者がジャカルタのスラムに行ったときの出来事を紹介しましょう。

著者は、率いてきた現地ツアーガイドからお願いをされます。
スラムの子供たちに渡すプレゼントを用意してほしいとのこと。

特に対応しなくていいと判断した著者は、プレゼントを用意しませんでした。
しかし今回は、通常と違って別の観光客がいるツアーの一員として参加しています。
他の旅行者が用意している中、一人いたたまれなくなった彼は、その場を抜け出して一服しに。
そこで彼は、予想外の光景を目にしたのです。

集められた子供たちの後ろの建物には、彼らの親と思しき者たちがいました。
悠々とスマホやタブレットを巧みに操り、貧しそうには見えない身なり。
彼らは子供を使って観光ビジネスをしていました。
そこで得たお金で、彼らはそこそこの生活を立てていたのです。

初めて来た旅行者は、子供たちを見て「かわいそう」と思うのでしょう。
しかし、実際は別段貧しいわけではありません。
両者の間には、認識のギャップが存在しています。

旅行者たちの行動も、子供たちにプレゼントしなければならないという、使命感によるもの。
それは、彼らが勝手に抱いたイメージがそうさせています。
人は、目の前のものを自分に都合よく、見たいように見るのです。

本書はこの点に関してもう1つ、東日本大震災の復興ボランティアの例を挙げています。
被災地では、ボランティアがタダで泊まらせろと見返りを要求するなどの事例がありました。
また、被災者が元気にしている姿を見て、がっかりしたと言う人までいたとのこと。

はじめは、純粋に助けたいという気持ちだったのかもしれません。
だが次第に、被災者は落ち込んでいるという勝手なイメージを押し付けてしまいます。
その結果、「モンスターボランティア」と呼ばれるまでに問題視されていました。

見たいように見ることで、誤解やすれ違いが生じ、ときに殺し合いにまで発展することも。
イメージにとらわれすぎることは、非常に危うい考え方です。

麻薬・ドラッグの浸透と慣れ

はじめは異質なものでも、時が経てば、違和感はなくなります。
「慣れ」は、誰もが経験したことのあるものでしょう。

ただしそんな「慣れ」からも、思わぬ危険が見え隠れしています。
本書は、「慣れ」がよからぬことへと歩みを進ませる可能性を説き、釘を刺してします。

例の1つが、アメリカでの大麻(マリファナ)合法化の動き。
実際に、一部の都市などでは既に合法化されています。
堂々と店が立ち並び、商品も、煙を吸うものからクッキーやドリンクといった食料品まで。

大麻に関しては、アメリカは日本よりも知見があり、それゆえに合法化の流れがあります。
日本では、大麻イコール犯罪組織。
取引する者がそもそも裏社会の人間であるため、表に出ることはあり得ません。

このように、日本に比べて「親ドラッグ」であるアメリカ。
だが、かつて痛み止めとして開発された薬が、大量の麻薬中毒者を生み出したのです。

「オピオイド」と呼ばれるその薬は、深刻な薬物依存を引き起こしました。
この問題は薬害として扱われ、オピオイドは直ちに製造中止。
すると、依存者たちは次にヘロインに手を出し、ドラッグ中毒者が爆発的に増えたのです。

身近にありふれているからこそ、生み出される問題があります。
しかも、見えにくく隠れてしまっていることが、たちの悪さを一層加速させてしまうのです。

もう1つ、東欧に住む「ロマ」という民族の話を紹介します。
ロマは古くから流浪の民として、特定の地に定住しませんでした。
現在は、ルーマニアやブルガリアにその多くが存在すると言われています。

彼らは純血主義者で、外部と交わらないことから、社会の底辺にしか居場所がありません。
それゆえ、ロマの人々は昔から鼻つまみ者とされてきました。
そして、彼らが避けられるもう1つの理由が、非合法な手段に手を染めている点です。

長いこと社会から爪はじきにされてきたロマたちは、当然ろくな仕事に就けません。
従って、彼らが行きつく先は自然と、たかりや犯罪となります。
稼いで財を成した一部の人々も、ほとんどが物乞いかスリでした。

稼いだ者たちは結果を見せつけるように、こぞって大きな家を建てます。
真っ当でない仕事で稼いだことに、後ろめたさはないのかと問うと、答えはノー。
金を稼いだことは事実、それの何がいけないことかと何食わぬ顔で言います。
彼らの価値観に口を差しはさむ余地はありません。

そもそも、ロマの人々には、金稼ぎに善悪があるという考え方がないのです。
才能ある若者にそれを言い聞かせても、納得してはもらえないとのこと。
彼らの虐げられた環境が醸成した価値観を変えていくことは、容易ではありません。

よって、ロマには犯罪を行う危機意識がごっそりと抜け落ちているのです。
価値観にまで昇華された「慣れ」が引き起こした功罪の1つといえるでしょう。

ここまでくると、未然に悪事から手を引くことは不可能かもしれません。
しかし、何でもうのみにせずに批判的姿勢を心がければ、防げることもあります。
本書は、「慣れ」というものの二面性を、再認識させてくれるのです。

「自分探し」の罠

本書の最後の項目は、これまでの血なまぐさい内容から一変。
著者が若かった頃の体験談をベースに、「自分探し」という題材を扱っています。

「自分探し」と聞いたとき、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。
自分が何者で将来どう在りたいのか、ヒントを探す旅のイメージを持つ人は多いと思います。
実際、バックパック1つで旅に出る若者は多いです。
まさに若さの特権ともいうべき行動でしょう。

一方で、「自分探し」に否定的な意味合いが含まれることも忘れてはなりません。
「自分探し」にかまける者は、単にモラトリアムを引き延ばしているだけと捉える人もいます。

自分の本質と向き合うと言えば聞こえはいいですが、実際のところはどうでしょうか。
「自分探し」にかこつけて、単に現実から逃げ出したいだけの人もいるでしょう。
一人旅を他人に取り上げてもらいたいと目論む人もいます。

裏にこういう事情を抱えているとなると、「自分探し」はほめられたものではありません。
動きが必要以上に大きくなると、思わぬリスクを取ることになるのです。

海外は、日本での常識が一切通用しない場所もあります。
そんな中で芽生える根拠不明の有能感は、トラブルを引き起こしかねません。
せっかくだから何か大きなことをしてやろうという思考も危険です。
とりわけ海外であれば、事件や事故に巻き込まれたら最後、と考えておくべきでしょう。

これもまた、自らを危険へと進ませてしまう、危うい思考回路といえます。
行動のもたらす結果や責任が見えない状態は、非常にまずいです。

著者もまた、若い頃インドに行って、一瞬死とニアミスした経験の持ち主。
ですが、彼はそれが理由で「自分探し」を否定する立場ではありません。
むしろ、何かと理由をつけて「自分探し」の行動すらしない人間に注意を促しています。

著者は、行動しない状態に陥らないよう、ある工夫をしていました。
彼は、行動の目的をあえてシンプルにしています。
目的を多く設定すれば、それだけ行動しない言い訳を作りやすいからです。

行動するという点では、「自分探し」は若い人だけのものではありません。
いついかなるときでも、人は行動に移して「自分探し」を始めることができます。
自分が高められる感覚を覚える経験こそが、成長へとつながる自分への第一歩です。
それこそが「自分探し」の本来の趣旨であり、目指すべきポイントでしょう。

「自分探し」、あるいは「自己実現」といった類いもまた、二面性を持ち合わせています。
本書は、その二面性にあらためて気づかせてくれる一冊です。

おわりに

本書の著者は、世界を飛び回って様々な「裏」の人々と出会ってきました。
そして、彼らが危ない橋を渡る理由、思考回路を探り続けています。

知っての通り、人間は非常に弱い生き物です。
生きていくために必要な金にひたすら翻弄され、金と命を簡単に天秤にかけます。
見たいものだけを見て、勝手でごう慢なイメージ像を作っては押し付ける存在です。
染みついた価値観を手放すことは難しく、「慣れ」は違和感を覆い隠していきます。

このように、危険へと誘う思想は、我々の身近にあちこち転がるありふれたもの。
犯罪や裏の仕事を行う人間は、全く異なる次元の存在ではありません。
自分達と同じ普通の人間です。

逆に言うと、普通の人間である以上、犯罪に手を出す可能性は紙一重だということ。
誰しもがその立場となり得る可能性を有しているのです。

先のことは誰にも分かりません。
ただし、事前の意識と行動が進む方向を転換させることはできると考えます。
本書は、そのための道しるべとなるような一冊です。


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