行き詰まった世界を変える!?「リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義」が示す、これからの自由と社会


自由主義や社会主義などといった政治思想は、今まで数多く生み出されてきました。
そんな思想体系は、ちょっとした考えのズレが様々な学派を生み出します。
宗教における宗派のようなものです。

本記事で紹介する「リバタリアニズム」もまた、枝分かれした思想体系の1つ。
自由の国アメリカで先鋭化したこの考え方は、現在にわかに注目されつつあります。
とりわけ今を生きる若者には、大変興味を起こさせる考え方のようです。

今回は、そんなリバタリアニズムの現状を紹介する本を紹介します。
本記事を参考に興味を持たれた方は、ぜひ手に取ってみてください。

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「リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義」について

世界のリバタリアンの活動を紹介する「リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義」。
こちらは2019年に株式会社中央公論新社より発行されました。

本書は、政治志向の1つ「リバタリアニズム」を紹介しています。
あまり耳慣れない、リバタリアニズムという思想。
これは、アメリカ国内を中心に、世界各地でも活発な動きを見せています。

リバタリアニズムが掲げている主義について、丁寧に解説する本書。
他の政治主義と比較し、それぞれの違いにも触れるため、政治学の一端を知る上でも最適です。

著者は、アメリカ研究を専門分野としている渡辺靖氏。
氏自身はリバタリアンと呼ばれる主義者ではありません。
本書に関しても中立的な立場から、冷静かつ批判的に考察されています。

今後さらに複雑化してゆく国家の在り方を論じる上で必要となる、現状把握に適した一冊です。

「リバタリアニズム アメリカを揺るがす自由至上主義」が教えてくれるもの

リバタリアニズムは現在アメリカをはじめ、その活動を活発化させています。
いったいどんな考え方を、どのような形で広めているのでしょうか。

ここからは、本書が示すリバタリアニズムの性質、現状と今後を解説していきます。

リバタリアニズムとは

リバタリアニズムとは、自由主義から端を発する思想の1つ。
自由至上主義とも呼ばれ、この思想を支持する者は「リバタリアン」と呼ばれます。

リバタリアニズムは、アメリカでの活動が最も盛んです。
有権者であるアメリカ国民のうち、1~2割程度がリバタリアンとも言われています。

そんなリバタリアニズムを説明する前に、まずは派生する元となった自由主義をみていきましょう。

端的に言うと、自由主義とは「小さな政府」を目指す政治思想。
市民生活への政府の介入を最小限に抑え、市場原理に任せる考え方です。

この自由主義は、1930年代アメリカで大きな変化を遂げます。
自由主義を基本理念とする民主党政権は、福祉政策に積極的に乗り出すのです。

それまで自由主義思想は「小さな政府」の実現を掲げてきました。
しかし、このとき民主党が行ったのは真逆のアプローチ。
政府は徴税や社会保障政策を行うことで、所得の再分配とバランシングに取り組みました。
自由は平等であることが前提だという考えのもと、社会的公正を目指したのです。
今で言う「リベラリズム」あるいは「リベラル」と呼ばれるものが、この考えにあたります。

リバタリアニズムは、リベラリズムに異を唱える形で発生してきました。

個人の自由を最も重視するリバタリアニズムは、国家が個人に干渉することに反対します。
税を取る行為は私有財産を侵害するものとし、認められるものではありません。
一方、暴力や犯罪により自由が侵害される場合に、自由を守るための強制力は認めています。

経済活動に関しては、従来の自由主義同様、自由放任主義の姿勢です。
国家の干渉はあってはならず、干渉すれば市場のバランス機能は破壊されるとさえ言います。

中には、国家そのものが不要だと論じる過激派すら存在するほどに、「自由」な思想です。
とはいえ、リバタリアニズム自体は一部が極端なだけで、基本的に過激な思想ではありません。
念のため申し添えしておきます。

この思想を語る上でなにより大切なのは、個人の自由を主義主張の根幹に据えている点でしょう。
後述しますが、リバタリアニズムは実に多様な形態を取り、数多く存在しています。
そしてそのいずれもに、個人の自由至上主義的な考え方が深く根付いているのです。

本書は、リバタリアニズムがどのように捉えられ、どのように展開されているかを解説しています。

変幻自在のリバタリアニズム

本書は、リバタリアンによる様々な活動を紹介しています。

リバタリアニズムの本場とも言えるアメリカ国内団体の会合から、世界各地の活動まで。
彼らが真の自由を得るためのアプローチは、実に多岐に渡ります。

最も一般的なのは、各地のリバタリアン団体が定期的に開催する会合です。
アメリカ国内にはシンクタンクや大学内の研究センター、学生組織まで存在しています。
二大政党に次ぐ第三の政党として挙げられるのは、リバタリアン党であるほどです。

一定の市民権を勝ち得た、真っ当な政治思想であるリバタリアニズム。
彼らは毎年、交流や勉強会を兼ねた大会を開催しています。
研究の最先端は、こうしたセミナー大会が切り開いてきたのです。

また、本書は会合以外の面白い活動も紹介しています。
その1つが、公海上に自治都市を造って暮らすという計画。
実際に動いている計画だというから驚きです。

その他、集まったリバタリアン数千人が、特定の州に移住する計画。
国境の川に浮かぶ「中洲」を買い上げ、建国してしまうという動きなど。
リバタリアンのバイタリティはすさまじいものがあります。

彼らの多様性は、行動範囲の広さに留まりません。

例えば、共和党あるいは民主党に所属するリバタリアンの議員がいます。
これを聞いて、政治的理念を異にする政党に属するなんて矛盾している、と思うでしょうか。
表面的には違っていても、目指す利益が一致してさえいれば、軋轢は生じません。
むしろ、二大政党に籍を置くことで活動しやすくなるというメリットを見出しているのです。

人の数だけ、考え方が存在します。
ましてや今は、物事を単純に、画一的に捉えられる時代ではなくなりました。
あらゆる手段を使って、理念を利益に変換していくリバタリアンの力強さを感じます。

こうして見れば、リバタリアンは実につかみどころのない集団だと思われがちです。
しかし、彼らの根本にあるものは終始一貫しています。

それは、「個人の完全なる自由」を理念としている点。

利益を実現するべく、(もちろんアウトローな手段はNGですが)彼らは手段を問いません。
自らが望むものを達成するためならば、国だって作ってしまうというわけです。

利益が一致する限りは、異なる立場に身を置くこともいとわないリバタリアン。
個人を自律的単位に据えているリバタリアニズムならではの考え方ともいえるでしょう。
まさに自由の国アメリカで発展してきた思想だといえます。

現代に浸透するリバタリアニズム

前述のとおり、リバタリアニズムは自らの利益のために多様な活動を展開しています。
まるでカメレオンのように変幻自在でありながらも、軸は決してぶれません。

そんな彼らのアプローチは、現代社会に非常によくなじみます。
ネットとSNSの時代となった今、情報発信/受信のオプションが爆発的に増えたからです。

発信する者は、自分が「良しとするもの」を恐れずに拡散させていきます。
そして受信する者は、自分が「良しとするもの」を選び取っていく時代。

究極的なことを言えば、政治とは個人の利益や思想信条に基づく選択にすぎません。
それらを集約化し、社会全体の利益として昇華させていくのが政党であり政府です。

従来は、この選択は政党というフィルタを通すよりほかありませんでした。
だが、政党のフィルタは一個人の利益をたやすく捻じ曲げます。
掲げた公約を平気で守らないなど、その典型と呼べるでしょう。

若い世代にとって、デジタルネイティブであることは大きなアドバンテージ。
彼らはtwitterやyoutubeを使ってより直接的なアクションに訴えます。
先に紹介した州移住計画も、インターネット掲示板で募ったことが始まりでした。

ネットがもたらした恩恵は、多様なチャネルをもたらしたことばかりではありません。
世界中の人々との同時並行接続を可能にした点を忘れてはいけないでしょう。

ただでさえ、リバタリアンの活動は多様です。
細かいレベルで見れば、主義主張は人それぞれ異なります。

こうした彼らにとって、ソーシャルメディアは最高のツール。
発信者と受信者の直接的な接触は、理念を捻じ曲げられるリスクを大幅に減らすからです。

本書によれば、アメリカの若年層におけるリバタリアンの割合は他の世代よりも高いとのこと。
デジタルネイティブである彼らとリバタリアニズムの間には、高い親和性が見られるのです。
個人主義に基づいた志向性もまた、現代人にとって心地良いものなのだといえます。

リバタリアニズムは、今後ますます影響力を強めていくことでしょう。
本書もまた、彼らが現在進行形で活発に議論を深めている様子を紹介しています。

リバタリアニズムが現代に問いかけるもの

本書は最後に、逆行する現代とこれからのリバタリアニズムの役割を論じています。

現政権であるトランプ政権は、従来のカテゴライズでは分類できません。
基本的には「小さな政府」を志向するため、保守政権ではあります。
しかし、移民排斥や保護主義的貿易といった政策は、保守でもリベラルでもありません。
「アメリカ第一主義」を打ち出すトランプ政権は、極めて権威主義的な政治を行っています。

当然、リバタリアンには受け入れられない話です。
積極的な他国への軍事介入など論外。

政権の暴走を少しでも阻止すべく、国内のリバタリアンは必死です。
リバタリアンの議員を政権に送り込んで「くさび」を打つなど、懸命な活動に取り組んでいます。

2000年を過ぎた現在、世界では権威主義的な指導者が再び台頭し始めました。

大衆に迎合するポピュリストの思想は、甘い言葉で人々をひきつけます。
そして、敵存在を設定することで対立構図を生み出し、強固な一体感を作り上げるのです。
このようにして「強固な指導者」が生み出されていく図式は、過去の歴史を見ても明らか。
「分断の政治」と呼ばれるこの手法は、日本でもみられます。

また、属性の集合体を政治利用する向きにも危機感を見出すリバタリアンたち。
彼らは、人種やマイノリティなどの属性の正当性を建前とした過激な政治を危惧しています。
民族主義やレイシズムにつながる可能性が大いにあるからです。

社会的寛容をモットーとするリバタリアンにとって、こうした集合体の分断は許しがたいもの。
彼らの現政権に対する批判はますますヒートアップしています。

なお、属性集合体の功罪は、SNSに依る面も大きいでしょう。
世界を取り巻く状況は、さらに複雑になっているのです。

ここまでアメリカの話を述べてきましたが、こうした傾向は日本にもみられます。
現安倍政権の一強体制は、はたして我々が求める政治を行ってくれているでしょうか?
そう考える人は、ごく少数でしょう。

現政権の政治手法は、「縁故資本主義」と揶揄されます。
彼らが打ち出す政策は、限られた一部の資本企業らが恩恵を受ける結果。
到底、リバタリアンに認められるものではありません。

再度権威主義が席巻する現在。
これは裏を返せば、福祉国家政策が限界を迎えつつあることを意味しています。
社会的公正をいくらうたっても、人々は依然として不平等感を抱えているのです。

これは、日本においてはより一層切羽詰まった問題でしょう。
少子高齢社会を迎える日本において、福祉政策が破綻する事態は致命的です。
加えて我が国は、民が「お上」に頼りきった歴史的背景を持っています。

では、解決策としてリバタリアニズムでしょうか。
しかし、それもまたラディカルな発想だと著者は説いています。

ただ、リバタリアニズムは、国家の在り方を論じる上で気付きを与えるでしょう。
政府はどこまで介入し面倒を見るべきなのか、最低限のラインを検討する必要があります。
そのラインが「大きい」のか「小さい」のかを判断する材料として、リバタリアニズムは有用です。

繰り返しますが、現代国家は多数の思想が複合的に組み合わせられて成立しています。
かつてのように、イデオロギー1つで「〇〇主義国家」と一括りに表すことはできません。
そのときそのときで、最適な選択を見極め続けていくことが必要なのです。

リバタリアニズムもその選択肢の1つ。
これからの時代、この思想を知っておくことは決して無駄ではないでしょう。

おわりに

個人のスタンドアローン化が進む現代社会。
その個人の不可侵の自由を追求するリバタリアニズムこそ最適解だと考える人も多いでしょう。
SNSなどが、この流れを一層加速させている印象を受けます。

その一方で、時代の潮流はいたずらに「我」を強め、個人の発言は鋭さを増しています。
リバタリアニズムは社会的不寛容を認めません。
図らずも煽り構造を生むソーシャルメディアは、彼らにとってまさに劇薬といえます。

それでも、リバタリアンの地道な活動が着実に実を結んでいるのも事実です。
本場アメリカでの影響力の強さが全てを物語っています。

彼らの強さは、負の側面ばかりにとらわれず、前を向く姿勢。
勇気を持って、信じて突き進むこと。
これは政治の場においても必須の心構えではないでしょうか。

リバタリアニズムと言う耳慣れない言葉は、我が国の政治にも語りかけているのです。


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