これからは文系も理系もない?「文系と理系はなぜ分かれたのか」が見据える、学問の未来


大学進学を志した人なら間違いなく通っているであろう、文理選択。
このタイミングで、進む道は枝分かれになっています。

多くの人は、自分の得意科目や苦手科目から文理の選択を判断したことでしょう。
そこからさらに、具体的にどんな分野を大学で学びたいか見つけ、志望先を決めるのです。

一方、文系や理系ではカテゴライズできない分野を学びたいと思う人もいるもの。
便宜的な区分けに収まらない人は必ず一定数います。

そもそも、なぜ学問に文系や理系などという分類があるのか。
分けることにメリットがあるのか、聞かれればたしかによくわかりません。

本書は、文系と理系を区別するようになった経緯を解説した一般教養書です。
併せて、学問の区別法には多種多様の視点が存在することも伝えています。

普段なかなか気づけない、文系・理系の謎に迫るという実に斬新な観点。
非常に知的好奇心をくすぐられる本書を、紹介していきます。

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「文系と理系はなぜ分かれたのか」について

「文系と理系はなぜ分かれたのか」は、2018年に株式会社星海社が発行した新書です。

学問の二大大別である文系と理系。
この区別がどのように生まれたのかを、歴史や各国事情を踏まえて解説するものとなっています。

また、学問の分類化は、学問の本質のとらえ方によって様々だということ。
国の事情が学問の区別を作り上げるということなどを、歴史的経過をみて説明しています。

そして、近年の文理の区別に収まらない新しい学問についても触れている本書。
現代を取り巻く事情を踏まえながら、丁寧にひも解いてくれます。

著者の隠岐さや香氏は、科学の歴史的経緯の研究を行う科学史家。
学問としての科学が過去どのようにとらえられてきたのか、非常に詳細な検証がなされています。

文系・理系で分けられた日本社会についても、その意義と功罪を問う本書。
この区別で我々が抱く数々の疑問に、答えを与えてくれる内容となっています。

「文系と理系はなぜ分かれたのか」が示すもの

文系・理系という区別は、非常にわかりやすいものです。
しかし、この区別は世界共通のものではありません。

各国にはそれぞれ独自の考え方があり、その呼び方も様々。
そして、歴史的背景に基づいた区別がなされているのです。

本書は、研究・学問分野は時代ごとの社会の影響を受けるものと論じています。
その動きは絶え間なく、非常に流動的な存在。

ここからは、本書が述べる文系・理系のとらえ方を解説していきます。

文系・理系は日本独自のもの?

学問の分類化は、中世ヨーロッパより始まる大学の起源に端を発します。

中世は、王や教会が権力を握っていた時代。
神学が重要視され、学問に用いられる言葉はみなラテン語でした。

一方、大学外で趣味で星の観測を楽しんだり、数学に触れたりする者がいました。
そうした同好の徒はやがて集まり、アカデミーと称したサロンが欧州各地で興ります。

大学外の活動で知識を蓄積していった分野は、やがて学問の本流に合流。
その間、様々な学者が学問をどう体系化すべきかと苦心してきました。

学問の検証方法や、その分野が目指す目的の本質ごとに分けるなど。
試行錯誤の結果、現在に見られる自然科学・社会科学・人文科学が生まれていったのです。

一方、従来の日本は、各地を大名が治める地方分権の政治体制。
諸藩は領内の国力を高めるべく、使える技術を柔軟に取り込んでいきます。

鎖国時の日本はキリスト教を禁止していたものの、書籍はオランダから持ち込まれていました。
蘭学や幕末時の洋学に興味を持つ者は非常に多かったのです。

役立つ技術なら何でも取り込もうとする姿勢。
この考え方は明治維新以降もみることができます。

近代化を急ピッチで進める日本は、富国政策を重視。
そのため、法律専門家と技術者の養成を目下の課題としていました。
こうして作り上げられたのが、現在の東京大学の前身組織なのです。

この学校自体が、国の求める文官と技官を育てるための場でした。
以降、日本では学問に文理の線引きがなされていきます。

つまり、文系・理系は、官僚機構を基に出来上がったものといえます。
公務員試験における便宜として生まれた区別が、今なお根強く残っているのです。

この区別の考え方は日本のみにみられるわけではありません。
似たようなものは、アメリカやヨーロッパにおいてもみられます。
多少違いますが、自然科学系と人文・社会科学系で大別する傾向が主流です。

文系・理系というものは、今や全く次元の異なるものとして扱われている感があります。
まるで、両者の間には圧倒的な断絶があるかのよう。
この点については、世界各国とは異なる、日本独自の感覚だといえます。

対して、各国の区別はもうすこし緩やかであることを、本書は教えてくれるのです。

理系偏重主義のイメージとその実情

日本はよく、技術大国や技術立国と呼ばれます。

これまで多くの企業がテクノロジーを発展させ、世界進出を果たしてきました。
また、理系分野における日本人ノーベル賞受賞者は2000年以降めざましいもの。

良くも悪くも、真面目で実直な日本人の気質は、研究分野に適したものなのかもしれません。

その一方で、文系分野での活躍はあまり目立たない印象があります。

一応申し上げますが、文系出身者が何もしていないわけではありません。
社会を動かすには、文系の資質もまた不可欠の要素です。

このあたりの文理での感覚の違いはどのように生じてきたのか。
理由は、国が国策として科学技術の発展を推し進めてきたからです。

戦後復興と経済成長を目指した日本は、急速に進めていきます。
技術の発展には工学分野の成長が不可欠。
これが国立大学を中心に展開されていったのです。

理系を重視する動きは、文系分野を端に追いやっていきました。
学問の場も、国立大学から私立大学へと移っていきます。
文系学部は不要だという過激な主張も現れました。

筆者の時代もそうでしたが、文系と理系では文系の方が就職に不利と言われます。
中でも、文学や歴史学といった人文系分野は特に厳しいとされてきました。

これは文系学問よりも、理系学問で学んだ技術の方が即戦力になるというイメージのせい。
専門性の高い理系分野の方が、社会に求められている印象を持つ人は多いでしょう。

では、文系出身者は社会で何を求められているのか。
それは学んできたこと自体ではなく、そこで培った論理的思考プロセスやコミュニケーション。
どのような姿勢で学問と向き合ってきたのかを企業人事は見ていると、本書は言います。

文系出身者が就く仕事は、営業や事務など、調整能力を求められるものがほとんど。
多くの企業は、それに対応できる人材を探しているのです。

話は変わって、先ほど、文系でも人文学系と社会科学系で見る目が変わると言いました。
実は、文系同様に理系内部においても、就職における扱いの差が発生しています。

理系出身者のうち、博士号取得者は就職率が一気に下がるのです。

企業が必要としているのは、大学学部卒または修士課程卒程度の知識と技術。
博士課程まで取った者の知識までは必要ないとしています。
扱いに困ってしまうという企業側の事情もあるのでしょう。

では、企業就職を捨て学者の道を突き進むのかといえば、これまた難しい話。
研究者として大学に籍を置こうとしても空きポストがなく、非常に狭き門となっています。

現在はこうした状況を改善すべく、積極的に博士号取得者を採用するようになりました。
ただ、依然として学部卒か修士卒で社会に出る学生が多い状況は続いています。

筆者もまた、「理系の方が潰しがきくから理系にしろ」と言われてきました。
ただ、数学が壊滅的に出来なかったことと歴史が好きだったことから、文系を選択。

理系万能説は、高校の頃から刷り込まれていたんだと、本書を読んで納得しました。
よく考えれば、公立の学校もまた公務員の職場です。
服務だとまでは言わずとも、国の政策に対して肯定的立場を取るのは自然なことだといえます。

日本における文系・理系は、国の思惑で出来上がったもの。
学んだ分野を修めた者の先もまた、国の影響を受けていることは、本書を読めば明らかなのです。

社会環境が文系・理系を作る?

日本では理系を志望する者は男性ばかり、という話は有名でしょう。
分野にもよりますが、理学や工学分野では、学生における女性の割合は1割に満たないほど。
本書でも、統計データを引用してこの事実を伝えています。

理系学問は男性が得意とし、女性は苦手とする学問なのか。
それは性別上やむを得ない差なのか、これまで様々な研究が行われてきました。

自分が文系なのか理系なのかは、社会的要因によるところが大きいと本書は述べます。
社会環境に、男女間における以降パターン等の違いが加わって、形成されるというのです。
つまり、文理の区別は社会的性差、すなわちジェンダーの問題だとしています。

日本において理系に女性が少ないのは、歴史的な経緯から見えてきます。
かつて女性は、仕事で外に出ることがありませんでした。
こうして市場に結びつかなかった背景や、伝統的に家事等を担当してきた歴史的経緯。
女性が人文系や看護医療や家政学に多いのも、「伝統」が潜在意識にあるためなのです。

また、中学校に上がると算数は数学に変わり、一気に脱落傾向が現れ始めます。
この数学嫌いは、理系分野に対する苦手意識に直結していくのです。

学校では数学が苦手でも、すばらしい研究実績を出す人もいます。
数学嫌いは、もとより備えたポテンシャルが思い込みのせいで上手く発揮できない典型例です。

外国でも、このようなジェンダーによる傾向の形成がみられます。

例えば、アメリカで行われたとある調査。
回答者が学ぶ分野には「生まれつきの才能が必要か」を問うものでした。
「必要」という回答が多かった分野ほど、女性やアフリカ系アメリカ人の割合が少なかったのです。

自信のなさや劣等感のようなものが、この結果を出したと著者は考察しています。

人間が、今までの環境や生き方に左右されることは言うまでもありません。
ただ、学問に対する姿勢にも表れるということには、大変驚かされました。

人は外部との接触で形成されていくもの。
その不安定さを、あらためて知ることができました。

文理を超えた学際化の流れ

現在、世界中で実に多種多様の問題が噴出しています。
問題のみならず、高度情報社会化をはじめ世界は目まぐるしく変化し、追いつけないほど。

世界を取り巻く状況は、複雑極まりないものとなっています。
環境問題も、政治問題も、昔ほど純粋な内容ではなくなりました。
もはや、文系だ理系だで解決できるレベルの話ではないのです。

近年、学問に対する見方は変わりつつあります。
文理の枠を超えた横断的、包括的な学問領域が見られるようになってきたのです。
情報学部や国際学部といった名称が代表的でしょう。

これは、世界の状況が大きく変わってきたことに対応しようとするもの。
現代は、文理双方の知識活用が課題解決に有用だと考えているのです。

先に述べた通り、もともと文理の区別は便宜的なところから始まっています。
しかし、学問は本質的な意味で全て同じだという考えもまた、過去の先人たちは唱えてきました。
今はまさに、細分化された学問が再び集約される段階なのかもしれません。

文系理系の双方が、互いを理解し、議論を深めていく姿勢。
かつ、文理にとらわれない柔軟な思考性。
本書は、それらこそが次の時代に求められる資質だと説いています。

真にアカデミックな時代は、まさにこれから迎えようとしているのかもしれません。

おわりに

本書は、理系だけでは解決はおろか、革新もなしえない時代の到来を想定しています。
とはいえ、現在の日本は、まだまだ理系重視の国でしょう。

ここに、文系が一石を投じる可能性を、筆者は大いに期待しています。
文系に出来ることを可視化できれば、この国はステージをもう一段階上げられるのです。

同様に文系もまた、理系を突っぱねるスタンスであってはいけません。
今こそ、文系ゆえの調整能力をいかんなく発揮するときなのです。

そして人間は、社会環境によって、あっという間にバイアスがかかってしまうもの。
日本においては、バイアスの原因は間違いなく厳然とした文理の区別でしょう。

今後ますます重要となる、世界を見据え、羽ばたいていく人材の育成。
さしあたっては、まず文理区別の陳腐さを説くことが最優先だといえます。

これからの時代をとらえるにあたり、貴重な視点を付与してくれる本書。
斬新かつ丁寧な考察は、学問と社会に隔たりを感じる人に突き刺さる内容となっています。


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